間違いも時代と共に正解になりうる

間違いも時代と共に正解になりうる

間違いも時代と共に正解になりうる

今回は「間違いも時代と共に正解になりうる」というテーマでお送ります。

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言葉すらも時代とともに変化している

このテーマも先日 Twitter でお話ししたのですがそれを元に深掘りしていきたいと思います。

まず最初に言葉すらも時代とともに変化しているという内容についてです。
こちらはすぐ分かりそうなことなのでさらっといきますが、わかりやすい例で言うと
古文と現代文では全く言語が違っていて、しかしそれは一気に変わったのではなく、少しずつ歴史と共に変わってきました。
古文も今見ると不思議な言語ですが、当時はそれが当たり前でしたし、
そこから少しずつ少しずつ変化をしていて現代の言葉になっています。
それと同じように価値観も変わり、それまで間違いだったことも正解になって来ました。

誤用もそれが多数派になれば正式に辞書に乗ることさえある

次に、誤用もそれが多数派になれば正式に辞書に乗ることさえある。という内容です。
先程は古文と現代文で例えましたが、今度は現代文同士で例えていきます。
まず一つ目に挙げるとすると、「姑息」という言葉は本来「その場しのぎ」という意味で使われていました。
しかし近年では「ずるい」という意味で多く使われるようになっているのは皆様ご存知かと思います。
これも元々誤用だったと思いますが、広辞苑の改訂でこちらの意味も正式に加えられることになりました。

もう一つ例を挙げると「爆笑」という言葉ですがこちらは元々は「大勢が大声でどっと笑うこと」という意味でした。
こちらの意味で使うこともあるのですが近年では「弾けるように大声で笑うこと」という意味もあります。
どっちかと言うと今では後者の方で使っている人の方が多いように感じます。
こちらも同様に広辞苑の改訂によって付け加えられることとなりました。

他にもたくさんの言葉が誤用だったものが多数派になり、正式に辞書に載ったものがあります。
このように間違いも時代とともに正解になり得るという顕著な例です。

普段日常的に使っている言葉ですらこのように変化していきます。
その他の一般的な常識や価値観はさらに変化する可能性を秘めています。

最近での最も大きな変化

最近での最も大きな変化は、一部の人しかマスクをつけなかったことが、今はつけることが常識になっています。
比較的マスクをつける割合が高い日本ですらその状況ですので、
もともとマスクをつける習慣がなかった国からすると非常に大きな変化です。

また衛生面に対する考え方も一気に変わっていきました。
そして人と人が会うことの難易度が上がり、それに応じて価値としては高まっていると考えています。

またこの状況によってたくさんのデメリットはあるのですが、
多くのものがデジタルに移行してやり取りが非常にスムーズになったというメリットもあります。

今までは間違いだとされてきたことが、たった一年で正解になっていることがたくさんあります。

まとめ

このように正解は歴史の積み重ねで成り立っているので当然変化していきます。
根本的に考えると正解不正解は所詮人が作ったものなので常に疑ってかかった方がいいです。

そして、今の正解不正解を変えるのもまた僕たち人間です。
常識を何も考えず受け入れるのではなく、一度吟味すると今まで見えなかった景色が見えてくるようになります。

それが常識だからと諦めていることをがたくさんある人は、一度これを頭に入れて考えていくと人生が楽しくなるかもしれません。